福島県からの自主避難における賠償など法的支援

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福田弁護士講演録「「避難の権利」の根拠と実現に向けた戦略」 
2011年7月22日

* 本稿は、SAFLAN運営委員である福田弁護士が、7月5日に福島県青少年会館で行われた「『避難の権利』集会 in 福島」で講演した内容を文字に起こしたものです。

「避難の権利」の根拠と実現に向けた戦略

弁護士 福田健治

(第二東京弁護士会所属

特定非営利法人メコン・ウォッチ副代表理事

東京駿河台法律事務所)

1.今なぜ「避難の権利」なのか

○はじめに

 皆さんこんにちは。私は弁護士の福田と申します。今日は、「避難の権利」ということについて法律家の観点で話をしてほしいという依頼を受けました。しかし最初に申し上げてしまえば、「避難の権利」が、どこかの法律に書いているわけではありません。認めた裁判例があるというわけでもありません。「避難の権利」は、今から、私たちが作っていかなければならないものであります。

 避難の権利を考える上で、まず、何のために避難するのかということと、権利ってなんだろうか、という二つのことを考えなければいけないと思っています。

○避難と予防原則

 前者の避難の必要性について、何のために避難するのかということは、色々な方がこれまでにお話されたので、割愛します。ひとつだけ、避難が今なぜ重要で合理的なのかということを、法律的な観点からお話したいと思います。

 皆さん聞かれたことがあるかもしれませんが、「予防原則」という環境法の大原則があります。今日は、これを最初のキーワードにして考えていきたいと思っています。

 「予防原則」とは何でしょうか。私たちが、法律に基づき何かを裁判で請求すると、要求した私たちの側に、「じゃあ証明しなさい」と求められるわけです。今回の件に当てはめると、避難が合理的だというためには、避難の必要性を私たちが立証しなければならないことになります。今こんなに放射線が世の中にあって、外部被爆の危険があるじゃないですか、内部被爆のことも心配じゃないですか、我々は逃げるべきじゃないですか、と言ったときに、国はなんと言ってくるか。実際に言っているわけですけれども、間違いなく、「100ミリシーベルト以下の健康被害に関しては、今まで確認されていません」と反論してきます。実際に、こういうことを偉い学者さんが言っているわけです。

 しかし、「100ミリシーベルト未満の健康被害がある」ということが、最近様々な研究結果から明らかになってきています。例えば5ミリシーベルトや10ミリシーベルトといった低線量でも、放射線を浴びた量と、健康被害、特にガンの間に因果関係があるという研究成果がでています。一方で、健康への影響までは確認できないという研究結果も出ています。このように、科学的に良くわからない場合、正確に因果関係があるということが明らかにできない場合に、「断言できないから我々は被爆を甘受しなければならないのか」というのが「予防原則」の問題になります。

 予防原則というのは1980年代ぐらいから、ずっと議論されているのですが、大きくこれが国際的な文章としてまとめられたのが、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された環境サミットという大きな環境問題に関する各国の首脳が集まる会合です。ここで、環境問題に関する基本的な原則が「リオ宣言」としてまとめられています。その第15原則というのがあります。第15原則で何を言っているかといえば「深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合には、完全な科学的確実性の欠如が、環境悪化を防止するための費用対効果の大きい対策を延期する理由として使われてはならない。」とあります。二重否定が入っているので分かりにくいですが、「被害が重大であるならば、十分な科学的な知見がなくても、きちんと対応をとってください」ということを、予防原則では言っています。

 私たちが今置かれている状況というのは、まさにこの予防原則が適用されるべき場面だと思います。実際に、子どもにせよ大人にせよ、このままの被爆の状況が続けば、何千に何名という人数なのか、何万人に何名という人数なのか、もっとずっと多いといっているグループもあり、オーダーはよく分かりませんが、健康への影響を予測する研究結果があるわけです。こういう中で、「科学的に証明されていない」から対策は採らなくていいのだ、というのは政府や東電の言い訳にはならないということが、「予防原則」という考え方であります。我々は今こそこの「予防原則」の考え方に基づいて、今後採られるべき対策を、国や東京電力に要求してゆく必要があると考えております。

○避難と権利

 次に「権利」って何なんだろう、という話をしたいと思います。六法全書をひも解いていただいて、「避難の権利」というのをいくら探していただいても、どこにも出ていません。どんな裁判例にも多分出ていません。それでも私は、これを「権利」と名付けたい。なぜか。それは、今福島の人々が置かれている状況において、人として当然に認められるものだからであります。法律学では、人権というのは、「人が人であるために、人としての尊厳を守るために、当然に認められるものだ。それは誰かが認めてくれるものでもないし、国家が作り上げたものでもない。もとから人間として当たり前に持っているものだ。」と捉えています。私たちが今おかれている状況の中で、この状況から脱して被爆のない状況に行きたいというのは、人として生きていくうえで、あるいは子どもを持つ親として、当然に認められてしかるべきではないか、と私は思っています。だから私は、これを「権利」と名付けて、大きな声で世間の人たちに主張していきたいと思っています。

○避難という「選択」

 先ほどの坂上さんのチェルノブイリのお話に、「移住の義務」ゾーンと、「移住の権利」ゾーンがあるという話がありました。私は、「皆が避難すべき」だとか、あるいは「学校丸ごと疎開すべき」だという話は、本当に大丈夫なのかなと考えています。権利というのは、一人一人が持っています。その中で、それぞれの個人、あるいは家族、あるいはコミュニティで、それぞれ避難するのかしないのかということを、決めることができる、それが基本的なことではないかと思います。例えば、福島に住んでいる方で、「今の状況では逃げることはできません」という方は、それはそれで大勢いらっしゃると思うのですね。あるいは、今科学的に分かっていることをいろいろ調べてみたけれども、このぐらいだったら避難しなくても良いと思っていらっしゃる方も確実にいらっしゃると思うのです。避難するかどうかを、決めるのは私たち自身であるべきです。そう私は考えます。もちろん、今の福島市よりはるかに空間線量が高くなれば、これはまた別であると思うのですが、今現実の線量で、「国が命じて強制的に避難をしなければならない」となることは、決して多くの人の幸せにはつながらない。むしろ避難について、皆さんが情報を得て、判断し、決定し、決定した人に関してはきちっとした支援が得られる、これが「避難の権利」であると私は考えます。

2.「避難の権利」の根拠

 私はこんなことを考えているわけですが、もしこれを法律家の世界で、弁護士の先生なんかに言ったとしたら、「お前、避難の権利なんてどこにも書いていないだろう」と馬鹿にされてしまうかもしれない。でも、そうはいっても何かヒントになることはあるはずだと思って、改めて六法全書をひも解いてみました。

○憲法前文

 それで私が今回一番感じいったのが、日本国憲法の前文です。憲法前文の中にはこういうことが書いてあるのですね。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

 まさに私たちが今被ばくを恐れて生活しなければいけない状況、これは恐怖なわけです。恐怖というのは、確実に明日こんな恐ろしいことになるということが分かっているわけではない、しかしながら、10年後や20年後に、私たちの中に、あるいは私たちの子どもの中に、どのような健康に関する害が出るのか分からないという状態に置かれている。そんな社会はおかしいじゃないか、というのがこの憲法を作った人の想いであるわけです。この憲法は1946年にできました。これは、戦争の様々なつらい思いを反映して作られたわけですが、しかし、まさに我々の置かれている状況というのは、恐怖、これから免れたい、そしてそれは当然に私たちが権利としてもっているんだと、日本国憲法の前文に書いてあります。

○生存権

 それから、憲法25条の生存権。これはご存知の方も多いと思いますが、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」。健康で文化的な最低限度の生活を国は保障しなければならないと、明確に憲法には書いてあります。今の、福島の人たちが置かれているのは、本当に健康で文化的な最低限度の生活と言えるのでしょうか。言えないのだとしたら、きちんと国が健康で文化的な生活を保障しなければならない。これが、憲法に書かれている権利であります。

○国際人権条約

 それから、国際人権条約も引用しました。その中でも、子どもの権利条約を見ていきたいと思います。

 子どもの権利条約は、子どもにはこんな権利があるんだということが書かれた条約でして、日本も批准しています。この中に、子どもの健康への権利ということが明確に書かれています。これが子どもの権利条約24条です。「締約国は、到達可能な最高水準の健康を享受することについての児童の権利を認める」と書かれています。さらに24条の第2項には、そのためにこういう措置をとりなさいということが書かれています。「児童の死亡率を低下させること」。それから、次が私がなるほどと思った条文なのですけれども、「児童の健康についての基本的な知識に関して、情報を提供され教育を受ける権利を有し、知識の習得について支援される権利がある」。こういうことを日本の政府は子どもの権利条約を通じて約束しています。

 今まさに私たちは、きちんとした情報が必要だと思うのです。低線量被ばくの健康被害にはどのようなものがあるのか。私の生活環境ではどのぐらいの放射線量があるのか。土壌にはどれぐらいの放射性物質が含まれているのか。そういうことについて、私たちがきちんと情報を得て、子どもの健康を考えることができるよう、情報をきちんと国は出すべきであると、この子どもの権利条約は言っています。

○「避難の権利」の内容

 次に、避難の権利の中身についてです。

 一つは、そもそも私たちが避難するべきなのかを考える上で、基礎となる情報が得られること。このようなことを私たちはきちんと知らされなければ、避難をするかどうかの判断をすることができない。私は先ほど、避難の権利は権利であって、義務ではないという話を申し上げました。権利というのは、自分たちで決めなければいけないということです。自分たちで決めるためには、必要な情報が適切に国から与えられていなければならない。これはまさに、私たちが意思決定をする大前提になります。

 もう一つが、避難をすると決めた方に対して、充分な支援が与えられること。どんな支援が必要かということを考えてゆくと、色々難しい問題が浮かびあがってきます。避難をしたいけれども、なかなかすることができないという状況におかれているときに、一つの手段だけでは、問題が一挙解決というわけにはいかないと思います。大きく分ければ、まずは今私たちが動けるだけのお金が必要だということになります。次に、一体どこにいけばいいんだという問題があります。どこに行けば住居が用意されているのですか。学校の教育が用意されているのですか。そのための受け入れをしてくれる自治体はあるのですか。これらが大きな問題です。この2つの問題、「避難するための資金が得られること」「避難を受け入れてくれるサポートの体制が整うこと」というのが、避難の権利を実現してゆく上で、2つの車の両輪になるであろうと考えています。

3.「避難の権利」実現に向けた戦略

 それでは、「避難の権利」をどうやって実現してゆけばよいのか?

○対政府=受入体制の確立

 まず、政府にできることで言えば、やはり受け入れ態勢の確立であるだろうと考えます。私は「自主避難」という言葉はあまり好きじゃなくて、東京電力の原発事故の影響で避難させられているのに、「自主」という言葉を使うのは非常に抵抗があるのですが、例えば、自主避難をして東京に行かれたという方に関しては、東京都の都営住宅を斡旋することを行っています。これは災害救助法という法律に基づいて行われています。この災害救助法は、3月11日に地震があった段階で、福島県全域に適用されるということになったので、それの基づいて、福島からの避難者であれば、例えばまず東京都が支援する。それで、この災害救助法によれば、かかった費用は、東京都が福島県にお金をくださいという。で、福島県はそのお金を払う。それで、福島県は最終的にはその費用のうちの5割から9割を国からもらうという仕組みになっています。国の補助割合5割から9割というのは、もっとあげて欲しいと思いますが、この仕組みをうまく活用すれば、受入側自治体にやる気さえあれば、今自主避難といわれている人たちに対して、もっと手厚いサポートができるのではないかと思います。この仕組みを使い、国がきちんと補助金を出す、面倒見ますよといってくれれば、各自治体に、もっとこんな施策をやりましょうよと、働きかけやすくなると思います。

 ただ難しいのは、災害救助法という法律は、今回生じているような原発災害を想定して作られた法律ではありません。福島県の人たちが今支援を受けられているのは、福島が地震や津波の被害を受けた場所だからです。ですからこれから先、災害救助法に基づく支援がどうなっていくかというのは、非常に不透明です。原発の被害者の方たちが、津波の被害を受けた方と何が大きく違うかといえば、いつ戻れるか分からないというのがあると思うのですね。それに対応した、きちっとした支援の仕組みを作ることが、中期的に必要になってくると思います。

○サテライト疎開の法律上の根拠

 先ほど中手さんが、サテライト疎開というお話をされていました。法律家としてコメントさせていただければ、学校というのは、学校教育法という法律に基づいて設置されています。その学校教育法に38条という条文があって、学校はその市内に作らなければいけないと書いてあるのです。だから、例えば福島市の学校は福島市内に作らなければいけない。ところが、同じ法律の40条には、「市内に設置するのが難しい場合、自分のところに学校を設置するのに支障がある場合は、他の市町村にその教育機能を委託することができる」と書いてあります。ですから、福島市は、例えば北海道の市町村に、教育をお願いすることができます、法律的には。この条文をうまく活用できないかなというのが、一つアイデアとしてあるのではないかと思います。

○対東京電力=避難区域外からの避難への賠償を

 最後に東京電力の話をします。

 避難をするお金が足りないと、このお金をくれという相手は、現在の法律の下では東京電力ということになっています。なぜか。皆さんの避難の必要性というのは、福島第一原発事故によって生じています。原発事故によって生じた損害について誰が賠償しなければいけないかということが、原子力損害賠償法という法律の中に書いてあります。なんて書いてあるかというと、原発事故で生じた損害については、原子力事業者=東電にしか請求できませんよとある。いわゆる責任集中という原則が取られています。皆さん色々な思いがあると思います。事故を起こした東電が悪いという人もいると思いますし、そもそも原子力政策を推進してきた国が悪いのだから、国に払ってもらいたいという人もいるかもしれない。でも残念ながら今の制度では、東電に請求せよということになっています。

 それで、東電に請求すると、東電が査定して、あなたにはいくら払いますよと回答するという仕組になっています。この時の基準をどこで決めているかというと、原子力損害賠償法という法律に基づいて作られた、原子力損害賠償紛争審査会というのがあります。今も時々新聞に出てきて、つい先日は、避難区域からの避難者の方に関して、慰謝料として最初の6ヶ月間は1月あたり10万円支払う、その後の6ヶ月に関しては月5万円支払います、ということが決まりましたと新聞で報道されていました。これを決めたのが紛争審査会なんです。つまり東京電力は紛争審査会で決められた指針に基づいて皆さんの補償に臨むことになります。

 この紛争審査会は、今一次指針、二次指針というものを作って、7月の終わりまでに中間指針というものを出すことになっていて、大体の大枠がここで決まるというスケジュールになっているのですが、困ったことに、この中間指針の中では、自主避難者、つまり政府が定めた計画的避難区域とか緊急時避難区域とかに住んでいない、その区域外から避難した方に関しては、一切中間指針では触れないという方針に、どうも先週の水曜日(6月29日)の会合でなったようです。これは大変困ったことで、恐らく審査会の指針に入らないということになれば、東京電力は請求しても払わないという対応になると思います。

 そこで、皆さんのお手元に署名用紙を配らせていただきました。その指針を作っている、原子力損害賠償紛争審査会の中で、きちんと自主避難者の件についても賠償していくよう指針に盛り込みなさいという要請書を配らせていただいています。

 もう一つは、どうにもならない時は、あとは裁判ということになると思います。裁判で避難に関してかかった費用を求めていく。最終的にはこの手段でしか解決できないということになります。裁判というのはどれぐらい時間がかかるかというと、2~3ヶ月で結論が出るやり方もありますが、正式な訴訟をすると、1年とは1年半とかかかって、そんなことやっているとですね、どんどん被ばくが進んでいくので、裁判をやるのであれば、できるだけスピーディーにやりたいと思っています。このような形で、最終的には裁判所を通じて、避難にかかるお金、新しい家を借りるためのお金、慰謝料、それから重要だと思うのが、今の仕事をやめて次の仕事が見つかるまでの給料分の休業損害、これも請求していくということが考えられると思っています。

 一方では、紛争審査会に求めていくということになりますし、裁判所に通じてもやりたいという方がいらっしゃれば、私たちは是非一緒にやらせていただきたいと思っております。

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